働かないアリに意義がある 長谷川英祐 中経の文庫

引用①
大学の社会的役割の一つには、基礎的研究を実行し、技術に応用可能な新しい知識を見つけるというシードバンク(苗床)としての機能があったはずです。例えば十数年前に大騒動を引き起こした狂牛病(=BSE)。この病原体は、もともと神経細胞に存在するプリオンというタンパク質が変異したものだと考えられていますが、プリオン自体はそれまでなんの役に立つかわからないものだったので、ごく少数の基礎研究者がその研究を行っていたにすぎませんでした。ところが、ひとたび狂牛病が現れ、プリオンに関する応用研究が必要になったとき、その基礎研究者たちが見つけておいた知識がおおいに役に立ちました。

引用②
多くの研究者(プロを含む)は、教科書を読むときに「何が書いてあるかを理解すること」ばかりに熱心で、「そこには何が書かれていないか」を読み取ろうとはしません。学者の仕事は「まだ誰も知らない現象やその説明理論を見つけること」なのにです。

引用③
人間が動物と異なる点は無駄に意味を見出だし、それを楽しめるところにあるのではないでしょうか。お話ししてきたように、生物は基本的に無駄をなくし、機能的になるように自然選択を受けていますから、無駄を愛することこそがヒトという生物を人間たらしめているといえるのではないでしょうか。

引用④
人生もそうかもしれませんが、いつも永遠の夏じゃないからこそ、短期的な損得じゃない幸せがあると思うからこそ、面倒臭い人生を生きる価値がある、とは思いませんか?

アリなどの知らなかった生態にへぇ〜と感心するだけではなく、探求心を持ち続けること、疑問を持ち続けること、それらが人生を豊かにするということまで考えさせられた。